『野比家のルーツ』補足 その1

7月18日

2012年に『野比家のルーツ』という記事(詳しくはコチラ)を掲載しました。
野比家のルーツの作成といっても、そんなご大層なものではなく、
『ジョースター家のルーツ』のデザインを参考に野比家に関する幾つかのエピソードを
ピックアップして作成したものです。

(毎度ながら数回の記事にわけて述べることになりますが)
タイトル通り、その『野比家のルーツ』の補足として
のび左エ門の時代からセワシの時代について、
その時代背景みたいなものを
なるべく簡単に述べてみたいかなと思います。


(1)のび左エ門の時代

のび左エ門とは、江戸時代後期の百姓であり、
野比のび太の父、野比のび助の6代前の先祖である。

のび左エ門が文政九年(1826年)元日に記した巻物や
父親(のび太の祖父)あたりから、
伝え聞いて導き出した見解なのかもしれない。

『のび左エ門とは農家だが、
たぶん大地主で金持ちだったのだろう』と
のび助は、のび太に話していた。

しかし、のび太がタイムマシンでドラえもんと一緒に確認した
のび左エ門の姿は、どうみても金持ちにはみえなかった。


画像


のび助の見解は全くの的外れだったのだろうか。

(あんまり歴史は詳しくないので、
以下の文章は間違っている可能性もある事を了承していただきたいのですが)

江戸時代も後期になると、鎖国体制(※1)をとりつつも、
経済も文化もそれなりに進展して成熟していたらしい。

例えば、
農村にも寺子屋があったらしく、
百姓たちも文字が覚えていったので、当時としては、
識字率も結構高かったらしい。

蘭学の存在などを考えてみると、西洋の学問や技術も導入されていた。
その結果、農学等に関する書物が出回っていたらしい。

(多分だけど)百姓たちが、それらの学問にふれることで、
農業に関する技術を向上させたのかもしれない。

(多分だけど)その結果、
百姓の中には、米以外にも木綿を自作して売りに出し、
米や肥料を買う者もいたらしい。
そんな百姓の中にも規模が大きい百姓の場合、
奉公人等を雇って木綿業などで一種の経営を行っていた者もいたらしい。

尚、米や肥料を購入するということは、
(多分だけど)金を払って購入していた可能性もあったと思う。
また、奉公人を雇うという事は、
(多分だけど)給料として、金を払っていた可能性もあったと思う。

その可能性を考えると、貨幣は全国に流通していたと思う。

さらに百姓の場合、年貢も納める必要もある。

それでも、それなりに利益をあげていた百姓がいた事を考えると、
江戸時代後期の農業に関する技術も、かなり高度だと思われる。


のび左エ門も、
そんな江戸後期の文化と経済の恩恵をうけていたのだろう。

子供に、それなりにお年玉をあげられるほどの余裕や
家具や農具、文字を書く為の巻物等のことを考えると、
20世紀の少年である野比のび太からみて、
大地主で金持ちには、みえなかったかもしれないが、
自分の土地を所有していて、
家計はそれなりに豊かで安定していたと思われる。

つまり、のび助の見解は、中らずと雖も遠からずという事になると思われる。

それにしても、(多分だけど)
江戸後期と現代では文字の表記もかなり違うと思われるのに、
のび助は、のび左衛門の文書をすらすらと読み上げていた。

もしかしたら、野比のび助は、みかけによらず、
結構インテリなのかもしれない。

(※1)歴史はあまり詳しくないので、間違っている可能性がある事を
了承していただきたいのですが、要は一部の港を開いて外国と限定的に
交流することらしいので、江戸時代の日本は、諸外国に対して、
鎖国という名の開国をしていたと言えなくない?

尚、うろ覚えの余談になるが、漫画『北斗の拳』の修羅の国も
鎖国体制をしいていたらしい。
修羅の国の実質上の支配者であるカイオウの性格等を考えると、
修羅の国の鎖国体制は、
文字通り、他国との交流などは一切ない体制だったかもしれない。


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