『野比家のルーツ』補足 その5

12月27日

この記事は
2012年に掲載しました『野比家のルーツ』(詳しくはコチラ)の補足記事です。

※できることなら、のび左エ門の時代からセワシの時代について、その時代背景みたいなものを、順番どおりに簡単に述べてみればいいのですが、時代によっては、その時代背景を理解するには、自分には何かと時間がかかるので、順番どおりに述べられないことをご了承いただきたいと思います。


(5)野比のび吉の時代(前編)

野比のび太の曾祖父、野比のび吉
原作『ドラえもん』の「ハリーのしっぽ」に登場
詳しい生年月日はわからないけど、多分明治30年代の生まれだと思う。

ちなみに、その「ハリーのしっぽ」の内容をなるべく簡単に説明すると、
明治43年(1910年) のび吉の町では、あることで大騒ぎになっていた。
なんでも、ハリーが地球に大接近する、 そのハリーのしっぽが地球をかすめるときに、地球の空気がごそっとなくなるのだという。

そんな危機を回避する為に、自転車のチューブを買い占める人もいたらしいが、のび吉は、自転車のチューブも買えずにいた。  このままでは、野比家はほろんでしまうと落ち込むのび吉、

だが、タイムテレビをみていたひ孫であるのび太が
こっそり浮き輪をのび吉にプレゼントする。
これで危機を回避できると浮き輪を手にしつつ、大喜びするのび吉だった。

ちなみに、ハリーのしっぽとは、76年に一度、
地球に接近するといわれるハレー彗星でのことであり、
明治43年(1910年)以降は、昭和61年(1986年)に出現している。


画像


(以下の文章は、正直、かってな憶測且つうろ覚えになるので、
間違っている可能性もあります)

さて、この「ハリーのしっぽ」というエピソードは、
のび吉の祖父であるのび作(のび左エ門の息子)の代に
始まったと思われる明治維新から約43年後のエピソードである。

この約43年で、日本は、とりあえず、よくも悪くも独自の近代化をした。
その概要みたいなことを述べさせていただきますと、

まず、明治維新後、野比家の人々が住居を構えていた江戸は東京となった。
大名は華族、武士は士族、百姓や町人は平民となり、平等の名のもとに、
身分に関係なく苗字が許され、自由な結婚、引っ越しの自由等が
認められることになったらしい。

おそらく、江戸時代、百姓だった野比家は、この明治時代以降、
20世紀の野比家がある地域に引っ越しをした(※1)

また、この明治時代以降、
野比家は、野比の苗字を名乗ることになったと思われる。

(※1)のび太とドラえもんは、のび左エ門の秘宝を探す為に、
タイムマシンで文政9年(1826年)の時代にいこうとした時、
ドラえもんが、のび左エ門が住んでいた場所を調べていた。

つまり、のび左エ門は、20世紀の野比家がある地域とは、
違う地域に住んでいた可能性が高いと思われる。

また、のび太が曾祖父のび吉をタイムテレビでみたときの場所は、
20世紀の野比家がある地域だった。

それらのことを考えると、明治維新後、引っ越しが自由になったことにともない
のび吉の父(のび左エ門の孫)が家族とともに、20世紀の野比家がある地域に
引っ越ししたのだと思われる。

その後、のび吉の父から数えて4代目の子孫にあたるのび助が、
推定年齢50代の頃に、妻玉子と息子のび太とともに、
なかなか、こぎれいな感じの
マンションに引っ越ししたのだと思われる。


だが、平等というのは、単純に権利だけでなく、課せられる義務も
平等であることが多い。

この明治時代以降、学制の制度がはじまった。
当時の人々の実生活の実情等にあわせて、色々と
修正等をくわえた結果なのだろうか。
のび吉の時代には、とりあえず、人々は尋常小学校で4年間の教育が
義務付けられたらしい。

尚、教育の内容も、明治初期の頃は、
主に教える内容は実生活に役だつ様な事ばかり
教えていたらしい。 


しかし、それでは、富国強兵につながらないとか、
拝金主義につながってしまうなどと思ったのかどうかはわからないが、
とにかく、明治政府なりに、その教育のスタイルに、
色々と憂いていたからだろう。 道徳として教育勅語が公布される。


まったくの余談になるが、教育勅語の最初の草案は、ろこつに勧善懲悪を示して大日本帝国憲法で認めるところの信仰の自由や思想の自由等とも、あきらかに矛盾している部分があったらしいので、 色々と修正が加えられた後、憲法に矛盾しない内容で公布されたらしい。

明治時代でも、憲法は国家最高の法規範であるという認識が強かったのだと思う。

道徳教育の賜物とでもいうべきなのかどうかはわからないが、
野比のび吉は、76年後に、またハレー彗星が出現して、野比家の子孫達が
自分の様に、途方にくれない様に、のび太の浮き輪を庭にうめた
しかも、巻物に76年後にハレー彗星が出現した際は、野比家の子孫達は、
その浮き輪を使えといった意味のことを記していた。

20世紀の人間であるのび太からみれば、苦笑するしかない的外れで大袈裟すぎる行動にみえるが、未来の子孫達の為に何かを遺す行為はなかなか殊勝な心掛けだと思われる。

明治時代、日本国民が平等の名のもとに、課せられた義務として徴兵制があった。富国強兵の名のもとに、かつて武士であった士族だけでは、兵の数が、たりないので、平民達にも兵役の義務が課せられたらしい。

ただ、労働力と財源の確保すること
また、のび吉が、「野比家がほろぶかどうかの瀬戸際だ」と言った様に、
個人ではなく、家で物事を考える習慣が、強かったのかもしれない。

明治10年ぐらいまで徴兵制は、
家の跡継ぎや一定以上の納税をしている者等、
ある程度の免除条件があったらしい。

しかし、その徴兵制の軍隊である政府軍と
かつて武士であった士族との戦いともいえる西南戦争以後、
(西南戦争で政府の財政や徴兵制に決して軽視できないダメージが
あったからなのだろう)

徴兵制の免除条件は縮小され、
要は徴兵された兵達に国に仕える武士であることを
求めている様な内容である軍人勅諭が公布された。


まぁ、それはさておき、普通に考えれば、
明治時代の野比家も、その徴兵の対象になり得るかと思うが、
ただ、野比家の場合は、案外、その対象にはならなかった可能性が高い。

なぜ、そんなふうに考えたかといえば、

徴兵の対象となるには、ある程度の体格と身体能力が必要になるので、
もし、明治時代の野比家の男達が、のび太の様に、運動オンチであれば、
徴兵の対象にはならないと思う。

野比家の場合、例外はあるにせよ、
代々、男で、一人っ子である場合が多い。
もし、のび吉も一人っ子ならば、野比家の跡継ぎは当然のび吉であると思う。

あるいは、のび吉が、例え跡継ぎではなくても、
野比家が、一定以上の納税をしていれば、兵役は免除される。

たしかに、野比家は、骨川家に比べれば、全然財力などなく、
とても一定以上の納税をいている様にみえないかもしれないが、
のび左エ門の時代は、いくら何でも大地主とはいかなくても、
土地と家屋を所有していたし、子供にお年玉をあげる余裕もあった。


また、のび吉の孫であるのび助が学生の頃の野比家の様子をみると、
改築したのかもしれない 
のび吉の時代の野比家とかなり外装が異なっていた。

さらに、のび太(少年期)の時代には、アニメや漫画でおなじみの
あの2階建ての家に大幅に改築されていた。

住宅というのは、購入や建てることだけでなく、
その住宅の維持費や土地や家屋にかかる税金を納めるだけでも
大変なことだと思う。 ましてや、のび吉とのび太の祖父の時代、
明治から昭和初期かけての日本の経済は、色々と何らかの打撃をうけたはずである。

のび左エ門の時代から約145年、
それなのに、野比家は少なくとも2回、改築までしているのである。 
親から子、子から孫へといった様に、
先祖代々の受け継いできた様な、ある程度の財力がないとできないことである。 

そのあたりをかんがえてみると、明治時代
野比家が一定以上の税金を納めて、兵役を免除されている可能性も
全くないとはいいきれないと思う。

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