『野比家のルーツ』補足 その6

12月30日


この記事は
2012年に掲載しました『野比家のルーツ』(詳しくはコチラ)の補足記事です。

※今回の記事で『野比家のルーツ』補足はとりあえず完了になります。
できることなら、のび左エ門、のび作、のび吉、のび太の祖父、のび助、
のび太、ノビスケ、のび太の孫、セワシの時代について、
その時代背景みたいなものを、悉く、順番どおりに
簡単に述べてみればいいと思ったのですが、
のび太の祖父、のび助、のび太の時代に関しては、
『ドラえもん』を読んでみれば、何となく理解できるのではないかと
思われたので、『野比家のルーツ』補足では、述べないことにしました。
また、時代によっては、その時代背景を理解するには、
自分には、かなりの時間がかかるので、
順番どおりに述べられないことを
ご了承いただきたいと思います。

(6)野比のび吉の時代(後編)

(以下の文章は、かなりのうろ覚えの為、
間違っている可能性もあります。ご了承ください。)

明治維新後、武士は士族となり、
彼等がもらっていた禄(ろく)の制度は廃止された。

無論、禄(ろく)を廃止しといて、
それなりの支援策を全くたてないでは、
日本の各地で士族の反乱が起こってしまうので、

金禄公債証書や、
警視庁設置にともなう、警官への就職、他の職業への転職、
士族が商売する為の資金の供給等で設立された国立銀行の設立等、
士族に対して、それなりに政府はそれなりに援助をしていた。

貿易について、海外への輸出も、明治維新前は、
ある程度の自給ができて、産物の余剰分で貿易するスタイルは、
明治維新以降は、産物を輸出先の好みなどにあわせて加工して
輸出するスタイルへと変わっていったらしい。

殖産興業により、生糸等、様々な工業が発展していった。
だが、工業の発展はいいことばかりではなかった。

例えば、生糸の生産業は、
その生糸を生産する為の機会が導入されたことで、
生産量はアップしたかもしれないが、
何せ何時間だろうが、
稼働できる機械にあわせて人間が労働するものだから、
過酷な労働になった。

そのことで早速、労働争議も起こっていたらしい。

また、生糸の生産には、
安い労働力で利益を得たいという考えが、
使用者達の間で定着でもしていたのだろうか。
使用者たちの間で、その安い労働力の取り合いがあった。

その取り合いが、ただでさえ過酷な労働に拍車をかけていたらしい。

さらに、生糸の生産に使用する機械は、
薪を使用して動かしていたらしいので、
森林伐採が行われた。 
その森林伐採がもとで、水害も起こっていたらしい。

他にも、足尾銅山鉱毒事件にある様な公害も起こっていた。

全ての産業や工業に、この様な事態が起こっていたのかどうかは
わからないけど、この様な状態に、追い打ちでもかけるかの様に、
デフレ等の経済的な危機や戦争による負担の増加等が
起きていたらしいから、
例え羽振りのいい職業に就いていたとしても、
一部の人々を除き、とても、うきうきしながら仕事をしつつ、
楽々と生計を立てていたなんてことは、
ない可能性が高いと思われる。

画像

〔↑明治43年の野比家 (※1)

(※1)明治43年の野比家の住宅、明治43年における、
この住宅のグレードが
どれくらいか、わからないけど、現代からみると、
何となく質素な感じがする。
でも、この住宅が、のび吉の孫、のび助の時代には、
2階建ての住宅に改築されようとは、いやはや、何とも感慨深いな



さて、そんな時代において、野比家が、どの様な生計を立てていたのか
そんな描写は『ドラえもん』には一切ないので、全くわからない。

ただ、野比家は少なくとも
のび左エ門の時代からセワシの時代の約300年、
代々、どうにか東京で生きてきたのである。

(多分だけど)明治時代、代々引き継がれてきた財力等で、
野比家は、どうにか、生計をたてて生活はしていたのだろうと思われる。

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