小説版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を読みました その9

5月14日

(9)仮面を着けて生きる男、シャア

『評伝 シャア・アズナブル』にも、あった様に、
シャアは、仮面を着けて演じ続けきた男だと思う。

ザビ家に気取られることなく、
確実に、サビ家へ近づき、確実にザビ家への復讐をはたす為に、

キャスバル・レム・ダイクンは、
シャア・アズナブルの仮面を着けて、
ジオン軍人でザビ家とも親しい存在を
演じ続けた。

一年戦争時で、大いに戦果を挙げたことで、
シャア・アズナブルの仮面には、
英雄のフィルターが加えられた。

このフィルターは、一年戦争当時のシャアからすれば、
ザビ家への復讐には好都合な
武器の一つにしか過ぎなかったかもしれない。

ガルマ・ザビ謀殺後、当人も復讐は虚しく、思えたのだろう。

復讐に生きるキャスバルではなく、
シャア・アズナブルとして
ニュータイプがニュータイプとして生きていける道を
みてみたい、その為に行動しようという野心を
抱く様になったと思う。

この時から、シャアは、
シャア・アズナブルの仮面を着けた
復讐だけに生きる小さな存在であるキャスバルではなく、

自分の野心の為に仮面を着けて生きる男、
シャア・アズナブルになったのだと思う。

シャアは、自分の野心をかなえる
ニュータイプも得ていた。

それが、ララァ・スンだった。

画像

〔↑ララァ・スン 小説版(※1)

(※1)小説の本文のイラストを
描いているのが、安彦先生ではなく、
『マクロス』で有名な美樹本先生なので、
ララァのデザインは、
(根本的な部分を除いて)異なるが、
「こちらのイラストのララァも、
ありだな」と思わせる感じのデザインだと思う。


後のアムロとララァの惹かれあいほどではないにせよ、
ニュータイプ同士の特有の惹かれあい(※2)が、

シャアに
(ララァ個人への愛を抱かせなかったのかもしれないが)

自分の大切な道具以上の思いを、
ララァに抱かせたのかもしれない。


(※2)小説版『機動戦士Zガンダム』で、
カミーユは、強化人間であるフォウ・ムラサメと
惹かれあった。 カミーユは、その惹かれあいを
断定はしていないが、恋愛によるものとは違うと
思っていたらしい。 

なぜなら、
フォウのみためは、カミーユの好みではなく、
カミーユ自身も、フォウとの惹かれあいは、
恋愛よりも、もっと硬質なものと思っていたからである。



とにかく、ホワイトベース隊に
水をあけ続けられてはいるが、

自分の大望の為に仮面を着けて生きることは、
一年戦争末期に、ララァが死ぬまで、
ある意味、順調で、当人も一度も苦しいと思ったことは
ないのかもしれない。

しかし、
(小説版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』によると)
シャアは、一年戦争で、
攻撃しあうガンダムとエルメスの姿に、
惹かれあい、言葉すら交換するララァとアムロの姿をみた

シャアは、激して2人の間に突入して、
ガンダムと対峙した。

(劇場版とは違い、)
ララァが、この対峙の際、
どちらをかばうつもりだったのかはわからない。

ただ、確なことは、

(劇場版とは違い、)
シャアは、この対峙で、
ララァがアムロをかばう様なイメージを
みてしまったこと

ガンダムがシャアを倒す為に、放った一撃が
誤って両者の間に、割って入ったエルメスを
撃破してしまったことだった。

そんなララァの死と同時に、
自分が、アムロに比べて、
大したことのないニュータイプだと、
痛感せざるを得なかった。

ニュータイプがニュータイプとして生きる道を
みてみたいという野心の為に、行動はしているが、

所詮、自分は、たいしたことないニュータイプなのだと
痛感せざるを得なかった。

小説版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でも

「なまじ、人の意思が感知できたばかりに」と
一年戦争から、14年経っても、自嘲の言葉を思い浮かべて、

メスタにも、自分はニュータイプではないと言っているほど、

シャアにとって、そのことは、とてつもなくショックで、
額の傷よりも、はるかに、深く大きな傷だったと思われる。

グリプス戦役、シャアは、クワトロ・バジーナとして、
エゥーゴで活動していた。

しかし、この頃、シャアがジオンの子であることが、
地球圏の間で、すっかり浸透していた。

つまり、シャア・アズナブルの仮面には、英雄だけではなく、
新たに、ジオンの子というフィルターも追加された。

アムロ以外、エゥーゴの同僚も含めて、誰もが、
それらのフィルターを通して、シャアをみて、
シャアに、地球圏のために、
ジオンの子として立ち上がることを求めた。

シャア自身は、シャア・アズナブルの仮面に対して、
自分の野心に対して、

たいした能力もない男だと痛感していた。

そんな男にとって、
英雄たれ、ジオンの子たれと求められるのは、
とてつもなく迷惑であり、苦痛だった。

しかし、求める人々は、フィルターをとおして、みているので、
そんなシャアの苦痛など、ほとんど、わからなかった。

一度、ジオンの子として、行動することを求めるハヤトに対して、
「自分は、シャアではない」と言ったこともあったが、

結局は、周囲の要望に応えて、
ティターンズの横暴を完全に停めて、
地球にいる人類を宇宙へ移住させることで、

地球を救う為に、

ジオンの子であるシャア・アズナブルの仮面を着けて、
立ち上がる。

周囲は、
英雄、ジオンの子というフィルターをとおして
シャアをみて、英雄たれ、ジオンの子たれと求めてくる。

その周囲が、
エゥーゴからネオ・ジオン軍に変わっても、変わらない。

しかも、ご丁寧にとでも言うべきか
ネオ・ジオン軍の人々は、シャアのことを
総帥でもあるにも関わらず、「大佐」と呼ぶ。

そんなネオ・ジオン軍や
スペースノイドの人々の期待に、

応えてくれる英雄であることを、シャアは、
とてもわかりやすくアピールする

アピールすることで、地球寒冷化作戦を確実に
遂行する為に、

劇場版でも小説版でも
シャアは演説をする。

劇場版でも小説版でも
スペースノイドの人達の人気と支持を
得る為に、リニアカーに、乗って、
人々と接触する。

人々は、そんなシャアの行動を誇らしい気分で、
みてくれてはいるのだろうが、

しかし、シャア自身は、自嘲していると思う。

たいしたことがない奴が、
英雄シャア・アズナブルの仮面を着けて、
何とか周囲の期待に応える為に、
自分の能力以上の存在を演じているだけだと

一年戦争時代、シャアにとって、
シャア・アズナブルの仮面は、
自分の野心の為に、上手く立ち回る為の
有効な武器のひとつに過ぎなかったはずだった。

だが、いつの間にか、
この武器には、人々の希望を叶えてくれる
英雄という役割が追加されていた。

ララァの死で、
自分が、たいしたニュータイプではないと痛感して以来、

シャアにとって、この武器は、
使用どころか、装着するのも、
とても重くて辛い

とても大きな重責すらも、ともなうものに
なったと思われる。

できることなら、
使用したくはなかったのかもしれないが、

グリプス戦役で、第二次ネオ・ジオン戦争で、
時代や人々の要望に応える為に、
色々な逡巡や煩悶を抱えながらも、
使用せざるを得なかった

この武器を使用して、ネオ・ジオン軍の人々に対して、
メスタに対しても、クェスに対しても、

色々な逡巡や煩悶を抱えながらも、
英雄を演じざるを得なかったと思う。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック